ブランディングの肝は、コンセプト。肝心なのは徹底したこだわり。

このブログでは、さまざまな角度からブランディングを進めていく上で大切なことは何か、なぜそれが大切なのか、といったことを少しでもお伝えできればと思っています。このブログを読んで、何かひとつでも気付きになるものがあれば、大変嬉しく思います。

まずは亀谷のヒストリーを辿りながらブランディングを考えることに始まったシリーズ、今回が2回目となります。

前回のお話はこちら:「ブランディングの第一歩は、モバイルの看板「名刺」から始まる。」

亀谷氏「ブランディングの肝は、コンセプト」

さて、前回のブログでは、映画監督になりたい、心理学を勉強するのもいいな、などと、全然ブランディングと関係なさそうなことを思いながらアメリカに留学することを決めた、若き日の亀谷でしたが、いよいよ彼にとって、かけがえのない出会いと経験の日々が始まります。

なぜグラフィックデザイナーの道へと進んだのか?

19歳でアメリカに留学することになり、テネシーのコミュニティカレッジにいたんです。気候も関東平野に近いようなところで、すごく田舎なので、英語が喋れない人間が行っても周りの人がいろいろ助けてくれるんじゃないかと思ったんですね。留学を斡旋してくれた事務所のアドバイスもあり、そこに決めました。

テネシーのプラスキーと言う、ディープサウスと言われる究極の南部です。小さな学校ですが、そこで美術の授業を受けていたら、「おまえ絵上手いな」と先生に言われまして。その先生から、「今度学校のポストカードを作る話があるから、お前を紹介してやる。やってみろ」と言われて、すぐに引き受けたんです。絵を描くことは、僕にとっては全然大したことではなかったので。

そのうち近所の人からも、うちの絵を描いてくれとか言われるようになっていきました。僕は作っているプロセスが楽しいので、完成品にはあまり頓着してきませんでした。できた物は人にあげてしまったり、捨ててしまったりしてたんです。でもそうやって町の人や大学の人たちに絵を描いてあげると、皆さんとても喜んでくださるんですよ。それがすごく嬉しかった。

自分が描いた絵を、こんなに喜んでくれる人がいるんだって言うのは感動的でした。そんな体験をしたことがなかったので。それでもうこの時、デザイナーになろうと腹をくくったんです。こんなに楽しい仕事だったら一生ものにできるはずだと思って。

ギフト――それは人に与えるために授けられたもの。

じつは、もうひとつ理由がありまして。当初学びたいと思っていた心理学は2度取ったのですが、結局単位が取れなかったんです。自分では理解できていたつもりだったので、こっちはもう無理だと思って。人にはそれぞれ向いているものがあるんだなと。(笑)

「お前はギフトを持っている」。当時あちこちで、みんなによく言われた言葉です。

全寮制のクリスチャンの学校でしたし、南部にはクリスチャンが多いので、彼らの言うギフトとは、神から与えられたギフトだよ、という意味なんですよね。

ラッキーだったと思います。ここにきて、そういう言葉をかけてもらって、僕の描いた絵を喜んでくれる人がいる。そういうことがあって、好きだったグラフィックデザインをやろうと思ったんです。

本当に、ここでの2年間がなかったらどうなっていたのかなと思います。多分、無茶苦茶暗いオタクになってたんじゃないですかね。(笑)

亀谷氏「ブランディングの肝は、コンセプト」

数ある大学の中、どういう観点でブランディングへの入り口となった学校を選んだのか?

街自体がこの大学を中心に動いていて、経営の視点から留学生をたくさん入れようとしていたようです。当時、日本がバブル直前だったこともあり、大学側も積極的に日本人を入れようとしていた時期で、僕が相談に行った事務所からもこの大学を紹介されました。

この大学を選んですごく良かった。アメリカのパワーも分かりましたし、ここでの経験があったからこそ、アメリカの美大に進みたいと思ったわけですし、縁があったんですね。ここで2年間きっちり勉強し、心理学以外はちゃんと単位も取れました。(笑)

無事卒業ができ、どこの美大に行こうか考えました。日本を飛び出した時とは違って本気モードになっていたので、きちんと見定めようと思ったんです。

NYもロサンジェルスも良かった。でもサンフランシスコにも、大学があるよと聞いて。アカデミー・オブ・アートという学校なんですが、あまり有名でもなかったし、第一印象も決して良くなかった。でも、グラフィックデザインの学部に行ったら、新しく学部長になるという人が面談してくれたんです。じつは彼はロサンジェルスの有名な美大の元学部長で、鳴り物入りでここに引き抜かれて来ていました。そして、これから立て直していこうという熱い思いを、絶対いい大学になるから、ここで共に頑張ろう、とテネシーから来たヘンテコ日本人の僕に語ってくれたんです。

改革の時って面白いじゃないですか。彼の言葉に迷うことなく、大学はここに決めました。

アカデミー・オブ・アート

(英語版ウィキペディアのJasonS2101さん – 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=28854226による)

彼はポール・ハーギーさんといって、教え子がたくさんいるんです。なので、学んだのはロサンジェルスだけど、今はサンフランシスコで自分の事務所を持っていたり、大会社で働いているという人たちが、ポールさんに声をかけられて、率先してここで教え始めたんです。一流の人たちが、第一線で仕事をしながら教えてくれたわけです。

その先生のうちの一人で、パッケージデザインを教えてくれたのが、サンフランシスコにデザイン事務所を構えるマイケル・オズボーンさんでした。

このマイケル・オズボーンさんに出会ったことで、彼のもとでデザイナーとしてのキャリアをスタートさせ、今につながる数々の大切なことを学んでいきます。ワインラベルのデザインなども手掛けて、とあるワイナリーでロバート・モンダヴィさんに遭遇したお話など、それはまた次回のブログで。